理論的には、世界中の人が自由に見れるところに、実名で文章を継続的に投稿し続けるという営みを、生まれて初めて、半年続けたことになります。
こういうことを長年続けている人にとっては当たり前のことかもしれませんが、私が今、痛切に感じているのは、
「誰かが書いたものを読む、ということは、単なる情報の共有以上のものである」
ということです。
blogを始めた当初は、これまでは”サイト間のリンク”みたいな、比較的静的な繋がりだったWebの世界が、blogのような小さい断片的な情報がダイナミックに繋がりを見せていることに魅せられたのですが、
繋がっているのは、情報ではなくて、人ではないのか?
と、最近は感じるようになりました。
世の中には、頭の良い人も、文章の上手い人もたくさんいます。
文章以外のところで有名な人-大きな事業を成功させたとか、リアルの世界で一流のトラックレコードを持っている人もいます。
有名な人の文章をみんなが読むのは、「あの人が何を語るのかに興味がある」からですし、
大学教授の書いた論文を読むのは「その分野での最先端・一流の研究成果を知りたい」からでしょう。
アカデミックの世界での評価基準のように「ハイインパクト」よく引用されるblog、というのも、それはそれで一つの価値です。
では、有名でもなければ、名だたるトラックレコードもない私のblogに「繋がって」くれた人たちは、どう感じたんだろう?
ということが気になって、考えてみたのですが、
ネットという情報の海を漂う人たちは、ただの「情報」が欲しいのではなくて、それを書いている「人」との繋がりを意識・無意識に求めているのではないか、と。
blogの「繋がりやすさ」を示す一つの考え方として、「ツッコミビリティ」という言葉があります。
「論理的な筋道が明快で、書き手の主張が明確なほど突っ込みが入れやすい」
という洞察だそうで、とても興味深い事象だと思うのですが、これに加えて、「繋がりやすさ」には、
そこに書き手がいるかどうか。
書き手の思いに対して「共感」できるかどうか。
表現がうまいかどうか、提供している情報のValueが高いかどうかだけでなく、
書いている人の気持ちに「そうだよねぇ」と相槌を打ちたくなるかどうか、話し掛けたくなるかどうか、
もっと突き詰めて言えば、
「その人と友達になりたい、繋がりたい、と思うかどうか」
人の心にある、この壁を超えられるかどうか、というのが、とても重要なファクターなのではないか、という気がしています。
「人の心を動かす」には、論理的に相手を納得させるだけでは足りない。
言い換えれば、「理解」に加えて「共感」があるからこそ人は繋がる のだ、とも言えるのではないでしょうか。
私がこのblogを始めた理由は、「この先、この世の中がどうなっていくのか(そして自分はどうしたいのか、どうすべきなのか)」という大きなテーマに対して、自分なりの問い・答えのようなものを探していく過程を書きとめておくためだと、これまで思ってきたのですが、それをわざわざ世間に公開しているのは、
自ら声を上げなければ、誰からも意見を求められない立場。
言いたいことがあってもうまく表現できない外国で。
「自分の意見には、何の価値もないのではないか?」
そんな自分に対してあせりや苛立ちを感じていたからだったのだろう、と今になって思います。
「死んでしまったら私のことなんか誰も話さない」
というタイトルは、
「もしかして、生きている今だって、私のことなんか誰も話さないかもしれない」
と不安に思う自分を鼓舞し、
「大丈夫。生きている以上、私の存在にはきっと意義がある。死んでしまってからでは何も変えられない。変えられるのは、これからの自分だけ。」
と言い聞かせるためのおまじないだったのだろうな、と。
表現に対する渇望感から誕生したこのblogは、
「私が私自身になろうとする戦いの記録」
だと言い換えても良いかもしれません。もしくは「ささやかな反抗」かな。
とまぁ、こんなふうに、極めて個人的な動機でやってるblogですが、私の個人的な戦いの記録が、同じように戦おうとしている人たちにとって励みやヒントになったり、慰めになったり、時には共感しあったり突っ込み合ったりして、戦いの合間の憩いの場(…というとやっぱり飲み屋か)になれれば幸いです。
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※ 山篭り宣言したにも拘らず、現実逃避で、ついこんなことをつらつら考えていたら、橋本大也さんの「Passion For The Future」で、ブログタイトルのネーミングで、「新しい」「優秀」な日本語でのネーミング例 として弊blogをご紹介いただいたことに気が付きました。あわわわ…。ありがとうございます。
※ 3/21追記: ちなみに、ネーミング自体は、同名のスペイン映画(私のお気に入りの映画の一つでもある)から借用?引用?しています。
http://www.sankei.co.jp/mov/review/97/0307nadiehablara.html
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