ピーター・ドラッカーの言葉に「すでに起こった未来」というのがある。
この表現が分かりづらければ「ターニング・ポイント」と言い換えても良いかもしれない。
既に起こった出来事であり、もはや元には戻れない、しかし重要な影響力を持つ変化。たいてい非常に些細なので、殆どの人が見落としてしまう出来事のことを指している。「すでに起こった未来」を知覚し、未来を予測・分析するのが社会動態学者である自分の仕事だ、というようなことを彼は書いていたのだが、実は、「すでに起こった未来」は社会動態学者だけでなく誰にとっても存在するし、誰にとっても重要なものだと思う。
「すでに起こった未来」を、私はうまく説明できないので、少し長くなるが山田ズーニーさんのコラムを下記に引用する。
「分岐点」
5年つきあった恋人と、
自分の言った
「たった一言」が原因で別れたという人がいた。「あの一言が原因で‥‥」
と悔やむその人に、ある人が言った。
その一言は原因ではないと、「5年もつきあって、
たった一言が原因で別れるようなことはない」と。事情はまったく知らない私だが、
この言葉にすごく感じるものがあった。分かれ道は、もっと前に来ていたのではないだろうか。
もっと水面下で、
もっと静かに、
もっと決定的に。道が分かれて、
最初は目に見えないちょっとの距離が、
水面下で、しだいしだいに大きくなっていって、
ついに水面化に隠しきれなくなって、
水面に現象となって顔をあらわしたのが
その「一言」ではなかったか。だったら、そのおおもとの「分岐点」はどこか?
人と人が出逢ったり、
別れたり、
成功したり、
転落したり、
人生は不思議だ。その理不尽さに、
「あのとき、あっちを選んでいればよかった」
「あのとき、こっちを選んでいてよかった」と、
私は、原因を目に見える現象に求めてきた。だけど、最近はそうでなく、
よくもわるくも、
自分をこの道に入り込ませた決定的な原因は、
もっと見えないところで起こっているんじゃないか、
と思うようになってきた。人は日々あたらしく生まれ変わっている。
たいていのことはやり直しがきく、と思う。だけど、よくもわるくも、
それをいったん選んでしまったら二度と引き返せない、「分岐点」
みたいなものがある、
と私は思う。それにのったら、二度と、もとには、戻れない。
ところで、少し話は変わるが、仕事をしたりブログを書いたりしていて、未来のことに対して「正しい答え」を(意識無意識のうちに)要求する人ってけっこう多いのだなあ、と思うことがある。
でも、未来に対する「正しい答え」は、たぶんありえない。
もちろん、「様々な状況を考え合わせると、最も可能性が高いのはこうだろう」とシナリオを描くことはできる。しかし、そこには必ず「人間の意思」という不確定要素が影響する。外部環境の変化を知覚することや、タイミングはもちろん大切だが、意思と行動によって、未来は自分の手で変えることができる。未来の芽は、そこいらじゅうに溢れている。でも、その「すでに起こった未来」を、自分の中でどのように位置付けるのか、どういう世界観を描いていくのかは、自分次第だ。
私は、どういう未来を実現したいのだろうか。きっとこれからも永遠の課題であり続けるのだが、どうせなら、素敵な未来を描きたい。今はそう思う。
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